『夢をかなえるゾウ4 』作中の教訓を自分に当てはめて考える~『人間が死に際に後悔する10つのこと』その1

こんにちは。

 

これまでもブログで記したことがあるが、私は先日流行語大賞にノミネートもされた「オーディオブック」の聴き放題サービスを日常的に聴いている。

 

そこで大変感銘を受けた一つが、ありがちで申し訳ないが今更ながらの「夢をかなえるゾウ4」だ。

 

自分ではどうなのだろうと考えてしまったので、ちょうどこのブログで記そうと思う。

 

ネットで色々なところで既に詳しく考察されているので今更ネタバレを気にすることもないと思う。

 

4回に分けて記そうと思うが今回は第一弾。

 

作中で死神が『人間が死に際に後悔する10つのこと』を教えてくれるのだが、そのうちの前半5つについてまずは自分に当てはめてみた。明日交通事故とかで突然死んでしまうかもしれないと考えて真剣に考えてみた。

 

1 本当にやりたいことをやらなかったこと

これは確かに後悔すると思う。このブログを始めたときにも記したと思うが、自分が本当にやりたいことは何だろうか。今の仕事は嫌いではないが本当にやりたいことではない。本当にやりたいこと、一番近いのは福祉関係の活動をすることだと思うが色々な事情でできていない。時期をうかがっている。でもそのうちに「死」の方が先に訪れてしまうかもしれない。もっと真剣に考えなければ。。。

 

2 健康を大切にしなかったこと

これは大丈夫。精一杯健康には気を遣っている自信はある。これだけやって病気になれば諦めもつく、かなあ。。。

 

3 仕事ばかりしていたこと

うーん、後悔するまではないかな。毎日必死で残業を少なくする努力はしているし家族と自分ファーストで過ごしていると言い切れる。昔は仕事ばかりで家のことはおろそかにしていた時期も長くあった。それが馬鹿らしくなる時がやってくると、そのあとは吹っ切れた。そして今に至る。

    

4 会いたい人に会いに行かなかったこと

これは今のコロナ禍で会えなくなった人に対して当てはまるかな。早く5類にしてもらいたい。そして皆さんに会いたい。それだけだ。

 

5 学ぶべきことを学ばなかったこと

これは無いかな。好奇心旺盛なので色々興味がわくものは手を出してきた。勉強したいことも結構やってきた。自己満足にすぎないが、その自己満足を味わえずに死ぬのは確かに後悔するんだろうと思うが、私は学ぶ限界を自分でここまでと決めて完結させて自己満足を感じ、次に移るというパターンを繰り返してきていると思う。あえてあるとすれば社会福祉士の資格をこれから取得したいなあ。でも「学ぶべき」とまで言えるものかどうかわからない。

 

以上、第一弾はここまで。第二弾に続く。。。

 

 

福祉業界への興味

こんにちは。

 

11/13のブログにも記したが、私は今の仕事には全く関係ないが、学生時代のボランティア経験がきっかけになって福祉関係に興味がある。

大学の専攻は別だったがボランティアサークルでの経験も活かして福祉機器の会社に新卒で就職した。

6年で転職したがそれまでは一応仕事でも福祉関係に携わっていたことになる。

 

転職してから完全に別の畑になってしまったので福祉関係のことから離れてしまっていたが、親も高齢になって介護という言葉が身近になってきた約10年前、やはり福祉関係の興味が捨てられないと思い、介護職員初任者研修を受講した。普段の仕事とは全く関係ないのだが。そんなに遠くない将来、自分の親が介護が必要な状態になるかもしれない、その時にある程度でも知識があれば何かしら役に立つはず、と思って受講し、最悪会社が倒産とかいうことになっても食いっぱぐれなくヘルパーとしての仕事もできるように一応はなった。

 

だが私の会社は副業禁止なのでヘルパーとして仕事はできない。

せっかく習って覚えた知識を風化させたくないという気持ちと、少しでも福祉や介護の業界とつながっていたいという気持ちから、その後毎年春に大阪で開催されるバリアフリー展に足を運ぶようになった。

この展示会は私が福祉機器の会社で働いていた時は出展者ブースの側で立っていたものだ。

コロナ禍で途切れたりしたがこれからも参加し続けるつもりだ。

 

展示会に足を運んで情報収集するだけでなく、別の資格も取得した。

福祉系の学部を卒業していない私が今の状態で取得できる資格は限られていた。

独学で勉強して取得したのは福祉住環境コーディネーター検定試験2級と福祉情報技術コーディネーター検定試験2級。 

これらは難しかったが、興味がある分野は勉強していて楽しい。

気持ちよく勉強できた記憶しかない。

 

他に関連のあるところで資格というか研修を受けたりしたのは

普通救命講習、上級救命講習、全身性障害者移動支援従業者養成研修課程修了、大阪府移動支援従業者養成研修(知的障がい課程)修了[=知的障害者外出介護従業者養成研修課程]、だが、知識だけ頭に入れている状態で仕事に活かしているわけではない。

 

施設ボランティアなどを続けていればまだこれらの知識が役に立つかもしれないが、コロナ禍でそれもできない状態が続いている。

何度か本気で大学の通信課程を利用して福祉系の学部卒業単位を取得して社会福祉士にチャレンジしようかと考えた。

だが子供の学費などを考えるとまだその時期ではないと思い、様子見の状態で今に至っている。

 

これから数年の間に私の子供のこと、親のこと、奥さんのこと、家計のこと、など色々考えたうえで、もし「今だ!」というチャンスが訪れたら実行に移したい。

そのためにこの気持ちだけはキープし続けようと思っている。

高齢者宅のゴミ問題

こんにちは。

 

11/5と11/13のブログに記したが、ご近所の高齢者宅のゴミ処理問題にかかわった。

分別をしていて色々気付いたことがある。当たり前に思うことも多いが、改めて考えさせられた。

 

①家族関係は難しい。

お一人暮らしで外部に助けを求めるのはまだ自然な流れだが、ご家族がいらっしゃる状況で外部に助けを求めるということは外からは立ち入れない個別の問題があるはずなので難しい。難しいが、一般家庭でも考えてみれば普通に起こることだと改めて気づいた。

 

②筋力・握力低下の辛さ

筋力が落ちると瓶のふたが固くて開けられない。せっかくおいしそうだと感じて旅先で現地の特別な瓶詰のものを買っても自分で開けられない。テレビで見ておいしそうだと思って購入しても蓋が固くて開けることができない。そういうものがどんどん溜まっていく。料理をするたびに「これ開けてちょうだい」と頼める人がそばにいればいいが難しい。軽い力でふたを開けることができる便利グッズがあることを知らない。知っていても買いに行けない。どこに売っているかわからない。こういうことも容易に起こりそうなことだと思う。

 

③量が多いので消費しきれない

出汁や味噌、油、コショウなど、開封して使うことができたとしても一回に使う量があまり多くないため消費しきるまでにかなりの期間がかかる。消費しきれないまま腐らせたり傷んでしまって使えなくなる。かといって使い切るために無理やり多く調理しても食べきれない。これもありがちな感じがする。

 

④分別がややこしい

燃えるゴミか燃えないゴミかという2択だった昔の時代をごく普通に生活してきた今のご高齢の世代は、高齢になってから考えたり覚えたりすることが辛くなってきてから分別することを強要されたので正直ついていけない人がかなりいると思う。そんな中でも頑張っている方は多いと思うが、「無理!もういい!まとめて出してしまえ!」ってなってしまう人も多いのではないか。

瓶の製品でも空になってから洗って乾かしてからプラスチックの部分を外して出すのは結構大変だと思う。スプレー缶はすべて中身を屋外で出し切ってから捨てましょうとか細かい説明は小さな文字で書いてあるので読みづらいとも思う。簡単な電化製品はプラスチックでできている部分が多いけどいつ出せばいいのだろうか判断を迷うこともあるだろう。

SDGsが大切なのは十分わかるが、そういう「(言い方は悪いが)頭と体がついていけない高齢者の目線」でも考えるべきなのかもしれない。

 

⑤ゴミ屋敷化の可能性

今回関わった方は「片付けよう」という意思があるのでものすごくよかったが、その気持ちを折ってしまったり、外部との関係が悪くなって閉鎖的になってしまう可能性も隣り合わせで存在すると思う。テレビでもよく言われるようになったが各地にゴミ屋敷があるが、すぐ近所にも簡単にあちこちに出てくる可能性が十分あると痛感した。

 

⑥介護従事者の不足や質の低下

一部でも介護保険のサービスを利用しているということはケアマネがケアプランを立てているはずで、家の状況は知っていなければおかしいと思う。にもかかわらずこんなことが起こるということは介護従事者不足が影響していると容易に想像できる。ケアマネだけでなくサービスを提供している事業所の職員も状況はわかっていなければおかしい。それなのに放置されていた。おそらくこういった問題はあちこちで起こっているはずだ。

 

今回の一件で色々なことを考え、色々な問題点がわかったと自分で思う。同じ地域に住むものとしてもっと早く手を差し伸べておくべきだったという反省もしつつ、行政側もすぐにでも様々な対策を立てて実行していってもらいたいと切に願う。

 

娘の病気

こんにちは。

 

以前ブログにも記したことがあるが、娘が今入院中だ。


体調不良が続いて先月初旬に詳しく調べてもらったところSLEとC型肝炎という診断で、入院することになった。

 

SLEとは全身性エリテマトーデスという指定難病で膠原病の一種らしい。


今回のことで初めて私も知ることになった。
全国に多くの患者がいてほとんどが女性とのこと。
症状もそれぞれ異なるらしい。

 

うちの娘はまだましなほうのようだ。おそらく。
ネットで調べていると様々な症状のことやかなりつらそうな闘病記など、ネガティブに陥る情報がかなり多い。


反面、症状は人それぞれなのでポジティブに考えるきっかけにできる情報も多いのでまだ助かっている。

 

いずれにしても娘は現在ステロイド治療中で副反応がしんどい時もあるようで、そんなときのLINEのやり取りは気の毒で非常につらい。


大切にしていたペット達も退院後のことを考えてすべて引き取ってもらわなければならなくなった。
そのことが一番かわいそうに思う。


だが自己免疫疾患なので何かに感染することを一番恐れることになるためやむを得ない。


主治医の先生も「ペットは屋外で犬を飼うことだけOK。だけど触れ合うのは撫でるだけ。それ以外はNG。」と話していた。
それを聞いたときは本人はこの上なくショックだったであろう。

 

だが気持ちの浮き沈みはあるが今は退院後のことを考えて本人は前向きになってくれている。
完治させる方法が今のところ無いという難病なので、我々家族は一生寄り添って支えていくのみだ。

 

まあ、きっと大丈夫!「生きてるだけで丸儲け」と明石家さんまの名言の通り、生きてるんだからそれでオッケー!

私は自分で何でもやろうとするタイプ

こんにちは。

 

私は自分で何でもやろうとするタイプの人間だ。
よく「他の人に任せなさい」「他の人にやってもらえるようにしなさい」とか言われる。
私が最も苦手としている部分だからだ。

 

自分だけで解決できることなら良いが、たいていの場合はそうではない。
だから会社では他の人にお願いする、他の部署にやってもらうように調整する、というケースが多い。
仕事なので苦手とか言っていられないので知恵を絞って何とか調整しているが、常にものすごいストレスを感じている。


根っからの「自分で思うようにやったほうが早い」という考えが染みついている人間なので本当にしんどい。

まだ体が元気なので自分でやってしまうこともあるが、さすがに最近少しずつ厳しいと感じるようになってきた。
体力的にも、精神的な余裕の部分でも、若い時のように無理がきかないようになってきているのを痛感する。


仕事においては周りの諸先輩方を見て手本にしようとしているが、「自分でやったほうが早いし気が楽だ」という考え方を抑え込み、何とかかんとかこなしているという感じだが、
家ではどうしても自分でやらざるを得ない。
なぜなら家の用事は奥さんから頼まれたことがメインだからだ。


家には奥さんと私しかいない。私がするしかないのだ。当たり前のことを繰り返しているだけだ。
猶予はあるので順番にこなしているので結局はちゃんとできるのだが、以前より時間がかかってしまっているのが最近特に感じて辛い。

 

これがもっと歳を取って「自分でしたくてもできなくなる」とショックだろうなあ。
そうなる前に、もっと他の人にもやってもらうお願いをできるようにならなければならないと最近ひしひしと感じる。

ボランティアってやりがいがあって楽しくて面白いけど難しい

こんにちは。

 

私は何度かブログでも記した通り地域の自主防災会の役員に名を連ねている。
これは地域ボランティア活動と言えると思う。


コロナ禍で活動は長い間ストップしているが、居住する自治体と隣の自治体の社協の個人ボランティア登録も更新し続けている。

 

コロナ前は隔週土曜日に近所の特養にシーツ交換のボランティアに行っていた。月一の駅前清掃活動も参加していた。月一で認知症カフェにもお手伝いとして参加していた。


つまりこういうことが好きなのだ。

 

きっかけは高校生のころ、男子校だったので単純に彼女が欲しいという不純な理由で、たくさんの高校の生徒会の人とか興味を持った人が集まる「ボランティア養成講座」というものに応募して参加したこと。
そこで泊まり込みで研修を受け、仲間ができ、夏のキャンプだけでなくフォローアップ研修もあったので継続して学んだ。


ボランティアというものだけでなく福祉関係の興味が大きくなったきっかけだ。


大学になってもボランティアサークルに入り色々なことを経験した。
あちこちのキャンプ場や自治体の研修施設に泊まり込み、貴重な経験をたくさんした。

 

社会人になってそういったことから離れてしまっていたが、親も高齢になって介護という言葉が身近になってきた約10年前、やはり福祉関係の興味が捨てられないと思い、介護職員初任者研修を受講した。

 

同時期に社協のボランティア体験プログラムの中のいくつかに申し込み、週末や休みを利用して老人ホームやグループホームのお手伝いに行った。その時に行った老人ホームのうち、一つの特養で先述の通り継続してシーツ交換のボランティアを続けてきた。

 

大学生の時にボランティアサークルを通じて最も活動をしていた時期、自分の中ではっきり感じたことがいくつかある。

 

まずは「障がい者は健常者と対応な存在で、お互いにできることを補い合っているだけ」ということ。
決して「障がいがあってかわいそうな存在」と一言で片づけられるものではない。そこは人と人との付き合いの中でできていく関係性によるので簡単なことではない。

 

次に「ボランティアは例えば学校で消しゴムを忘れた隣の子に消しゴムを貸してあげるようなことだ。」ということ。
これはあまりボランティアって構えて難しくとらえるべきではない、日常の関係の延長だということだ。

 

もう一つは「ボランティアは負担に思って無理してするものではない」ということ。
ボランティア行為を提供する側に色々な意味での余裕がなければすぐにキャパオーバーになり、結果的にはボランティア行為を受ける側に迷惑をかけることになってしまう。
提供する側は好意で行うのでどうしても断りづらく、無理してしまいがちだ。


11月5日のブログに記したごみ処理のお手伝い、これは実はその日だけで済まなかった。
認識の違いから、毎日ウチの前に分別されていないゴミを運んでこられて困ったことになった。平日は私も仕事しているので分別する時間も取れず放置しておくしかなかったがカラスに荒らされた。しかも日々量が増え、困ったので自主防災会の他の方と民生委員さんに連絡を取り相談に乗ってもらうことにした。
11月12日のブログに記した内容の一つがこの件だ。
とりあえずウチだけで抱えることなく周りに助けを求めて正解だった。

 

ボランティア、難しく構える必要はないが、時に深みにはまりそうな難しさがある。
それも魅力なんだろうなあ。
こんな考えの私はおかしいのだろうか。。。

休憩の日もあっていいよね

こんにちは。

 

先日のブログにも記したが、ここ最近疲れることが多かった。

予想外に精神的負担の大きなことが複数同時に降りかかってきていたので、その対処をしながら仕事をこなすので精いっぱい。

もっと若かったころは無理もできていて勢いで乗り切れていたのかもしれないが。

 

とりあえず昨日そのうちの二つ、今朝別のもう一つが一区切りついた。

どっと疲れが来て、他に何もする気が起きなかったのでとにかく昼寝をした。

 

昼寝の効果は大きく、かなり復活したので少しずついつもの週末ルーティーンに戻すことにしたが、一気には難しく、今の時点ではまだ外に出るのが億劫だしウォーキングや筋トレも気乗りがしない。楽器の練習もそんな気分にならない。

まあ、こんなこともあるか。別に必ずしなければならないことでもないのでゆる~くサボろう。またそのうち始めよう。

 

今ようやくしてもいいかなと思えるようになったのはお笑い番組を見ること。HDD
レコーダーにどんどん録画がたまっているが、見る気が全くしない日々が続いていたのだが、やっと少しずつ見始めた。大笑いして気分を上げていつもの状態に戻そう。

HDDの容量も空けていかないと。。。