「どう死にたいか」よりも「どう生きたいか」

こんにちは。

 

先日またいつものように通勤途中にポッドキャストを聴いていた。

昨日のブログで記したのとは前のとはまた別の番組でMCの方が話していて考えさせられたことだ。

 

それはタイトルにも記した

 

「どう死にたいか」よりも「どう生きたいか」を考えて毎日を生きたい

 

ということだ。

 

自分が死んだ後のことを色々考えて余生を過ごすという生き方もありだとは思う。

 

しかし、死ぬまでに自分はどう過ごせば「ああ、幸せな人生だったなあ」と思えるのかということを考えるのも納得がいく。

 

どちらが良いかはそれぞれだと思うが、まあ各自のバランスなのだろう。

テレビのバラエティ番組でインタビューされている方にはどちらかに振り切って生きていると思える人が登場する。

素直にすごいなあと思うが、自分はそこまで振り切る勇気を持てない。

どこかでブレーキがかかってしまう。

 

「自分はどうなのか」に絞って考えると、残された家族に迷惑をかけたくないと思う反面、自分の人生だから好きに生きていいじゃないかという気持ちも無くはない。

良い言い方をすれば「自分と周囲を考慮したバランスの取れた考え方」、悪く言えば結局「どっちつかずの八方美人で周りを気にしすぎて自分を持っていない」とも言える。

 

いずれにしても自分にとって今生きている間にしっくりくるのが「両方を見据えた生き方」なので、わざわざ悪い方に解釈するのではなく良い方の前者の解釈、つまり「バランスの取れた考え方」と捉えて、「幸せだったなあ」と思える生き方と、残された人に迷惑をかけないような生き方、両方を考えて良いトコ取りをしようと思う。

 

死ぬこと以外はかすり傷

こんにちは。

 

先日、いつものように通勤途上にポッドキャスト番組を聴きながら会社に向かって歩いていた。

するととある番組の中で介護福祉士をされているMCの方が「死ぬこと以外はかすり傷だ!」という表現をされていた。

 

私はこれにとても共感でき、「そうだよな!」と改めて心に刻んだ。

このMCの方はとても話下手で悩まれていて、コミュニケーションのカウンセリングを受けたりしているうちにどんどんと心が前向きに変わり、ついにはこんなに極端な超ポジティブシンキングになったとおっしゃっていた。

 

当然かといってガサツなわけではなく、介護のお仕事をされていると利用者さんに対するときは繊細な心遣いも必要なので辛いことも多く、考え込んでしまうとネガティブに落ちて行ってしまうのでこういう考え方でネガティブシンキングを吹き飛ばし、自らの心を元気に持っていき、精神を穏やかに保っていかれているのは見習うべきところだと私は感じた。

 

私は介護の仕事はしていないがボランティアなどでもご高齢の方を相手にすることが多い。

ネガティブに引っ張られることは昔ほど無くなったのだが、それでも人間なので引っ張られそうになるしんどい時はある。

 

こうやってカラ元気でもなんでもいいから心をポジティブに保つことは大賛成だと改めて感じた。

 

久しぶりにX(旧Twitter)

こんにちは。

 

この前朝のテレビの占いで「これまで避けてきたものを始めるといい事がある」と言っていたので、妙に気になった。

 

あまりに気になったので「この際何かやってみよう」と思い、避けてきたことが何かを思い起こしてみた。

 

細かいことを言えばキリが無いが、「X(旧Twitter)は何がいいのか理解できないから避けていたなあ」と気が付いた。

10年以上前に英語学習の役に立ちそうと思ってTwitterアカウントを作ってしばらく投稿していたが、三日坊主でやらなくなり、それからアカウントは放置していた。

他のアプリの認証に使われるだけのアカウントになっていたのだが、復活させてみた。

 

さあ、どう利用しようかと考えた結果、今年から始めることとして、毎朝「今日もいい日になるぞ宣言」を、それと夜には「今日もいい日だった宣言」をポストしようと思い立った。

 

これまで自分だけの日記アプリには毎日「今日もいい日だった」と締めくくってきたが、それを外に発しようと考えた。

 

とにかく思い立ったら吉日、使い方を思い出して確認してから少しずつフォローとリポストから慣れていった。

プロフィールも新しく変更した。

そして翌朝から宣言を開始。

 

どれだけの人が読んでくれているのか分からないし、最初から気にすることもないかと思っている。

とにかく継続することで何かこのあとに広がっていく、いや、広げていこうと思う。

 

1日2本の映画を観た

こんにちは。

 

昨日のブログで、この前の日曜日に風邪気味で夕方までひたすら寝たと記したが、さすがに寝すぎたのだろう。

入浴、夕食後は目が冴えて眠れなかった。

 

夜に眠れなくなるとまずいので以前テレビで放映されたものを録画してあった映画を観ることにした。

こんな時でなければまとまった時間を取れないし、ちょうどいい。

 

まずは「ゴジラ-1.0」。

シン・ゴジラ」の完成度がものすごいものだったので正直これはどうだろうとタカをくくっていたのだが、また違った角度からのすごさがあった。

自宅のテレビなので画面は小さいにもかかわらず迫力と恐怖感がビンビンと伝わってきて震えた。

きちんとゴジラの流れを汲んだものだと感じたし、第一作目へのリスペクトも感じることができたと思う。

アカデミー賞受賞作品だけのことはある。

映画館で観ておけばよかったと後悔した。

 

もう一つは「さかなのこ」だ。

さかなクンの半生を描いた自叙伝『さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜』を原作とする、のんさんが主演の映画で、以前から気になっていたものだ。

ちょうどテレビで放映されるのを知って録画していたがゆっくりとしっかりと観たいと思ってまとまった時間を取れるタイミングを待っていた。

ものすごく面白かったし、ほのぼのとしていて良かった。

のんさんの演技はやはり上手い。

2022年10月14日のブログに記した映画『この世界の片隅に』と『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』も主演の声優をのんさんがされていたが、彼女の多才ぶりは尊敬してしまう。

 

風邪をひいてしまって家にじっとしている中でもこうやって良い経験ができるのはある意味幸せかも。

 

篠笛のお稽古会に行きたかったが断念

こんにちは。

 

私はこれまで何度もブログで記してきた通り、篠笛を習っている。

 

この前の日曜日、とある神社で毎年年始にあるのだが、先生が曲を拝殿にて奉納演奏されるのと一緒に、社務所をお借りして合同練習会と新年会が開催された。

そこでは秋の発表会ほどではないが皆の前で ソロを1曲 披露する時間が設けられていた。

 

私は参加予定で会費も支払済みで、非常に楽しみにしていた。

何故なら11月28日のブログに記した通り、竹内まりやの『人生の扉』を練習中で、一度今の状態で皆様に披露したかったのだ。

 

ところが当日朝、起きると喉の奥が痛い。

ヤバい。

明らかに風邪の症状だ。

前日に散髪して髪が減ったからか?

同じく前日に急に実家に呼び出されたので風呂上がりにも関わらず寒い中自転車で外出したからか?

何にしても無理してこじらせる前に抑え込まなければならない。

やむを得ず篠笛は急遽欠席とした。

 

すぐに先生に欠席の連絡し、朝食後パブロンを服用して寝た。

薬の作用だろうがよく寝れた。

昼食後も寝た。

とにかく夕方までひたすら寝た。

 

こんなにも寝れたのは久しぶりかな。

背徳感はすごくあったがまあ、いいや。

テレビのリサイクル

こんにちは。

 

この前の年末年始休みの間、息子が帰省してきていた。

その時に液晶テレビを持って帰ってきていた。

調子が悪いと聴いていたので、とりあえず持ってきてくれたら調べてみて、もしだめなら廃棄すると話していたものだ。

 

時間ができたときに電源を入れ、色々試したが直りそうになかったので廃棄することにした。

 

そこで、自治体のホームページから処分方法を調べたところ、

一番安いのは家電量販店に持ち込むこと。

ただしこの場合、新しいテレビを購入しなければならない。

だがそのつもりはないのでこれは却下とした。

 

次に安いのはリサイクル券を郵便局で購入して回収場所に持ち込むこと。

だがそれだと回収指定場所は近くには無く、持ち込むのに交通費と時間と手間がかかるのでこれもあまり現実的ではない。

 

次はリサイクル券を購入後に自治体に回収を依頼すること。

当然それにも回収代金がまあまあかかる。

おまけに回収日は曜日などが指定される。

 

最後は私が結果的に選んだ手段だが、自治体と提携しているリサイクル業者に回収依頼するということ。

ここに電話したところ、8540円という見積金額が提示された。

高いと思ったが、梱包しなくてもよく、家まで来てくれるし、日程も土日で調整してもらえるらしいのでこれに決めた。

 

でも、確か新品でこのテレビを購入した時は2万円前後だったような気がする。

高くつくものだなあと思うが、家に置いたままにしていたとしてもいつかは処分が必要になるのでこの金額を支払うのを先送りしているだけだし、ウチには車がないし時間の制限もあるのでやむを得ない。

必要経費だろう。

 

回収当日、業者が来てスマホで入力したり電話で事務所とやりとりしながら書類を書いていたが、アキアという無名のメーカーのために手こずってかなり待たされた。

やっと確認が取れて見積もり通りの金額で済んだ。

 

安物の無名メーカーだとこういうこともあるのかと、良い経験になった。

年賀状納めする人が増えたなあ

こんにちは。

 

2025年になって暫く経ったが年賀状が世間ではかなり減ったようだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d8fba25f8f22ad7326dcd8dad3a3d7d141ba3e4d

 

ウチはコロナ禍を機に年賀状をこちらから出す件数を断捨離して一気に減らした。

そしてこちらが出していない方から届いた場合には返信していた。

普段やり取りしている人はLINEで十分だと思う。

そうやってフェードアウトする形で減らしていった。

そして一昨年に父が亡くなり、昨年に義母が亡くなったので2年連続の喪中。

当然、必要と思われる方には喪中はがきを出していた。

すると今年の元旦には数枚のみしか郵便受けに届いておらず、そのうち半分には「今回で年賀状納めとさせていただきます」と記してあった。

 

昨年も喪中で同じことをしていたのだが、それでも1月3日以降に何枚かずつこちらから出していない方からも含めてウチに届いていた。

だが今年は元旦以降一枚もそれがない。

ここからも年賀状離れが急激に加速していることがわかる。

 

これに対して私はどちらかというと肯定的に捉えている。

郵便代が高くなっていることもあるし、「お会いしたいですね」と記しても実際にお会いする約束までするかどうか怪しい人に出さなくてもいいのでは?とドライに考える風潮が高まっているのは否めない。

「どんどん人とのかかわりが希薄になっていくなあ」とも思うが、これも時代なのだろうと割り切った方が良いと考えている。