朝、月と星空を見て元気をもらう

こんにちは。

 

9月1日のブログにも記したが、私は平日毎朝4時起床で5時過ぎの始発で通勤している。

 

秋から冬になってくるこの季節、朝5時頃と言えばまだ夜と同じく真っ暗で、天気が良ければ空には星空が見える。

 

当然最も明るく輝くのは月なのだが、他の星も結構明るく輝いていてとてもきれい。

毎朝家を出て歩き出すと空を見上げる。

朝から「よし!いくぞ!」とやる気が出る。

 

特にここ最近は色々疲れることが多く、あまりブログには出さないようにしていたが気分が落ち込み気味だったので、朝は必ず空を見て元気をもらうようにしてきた。

少しでも前向きに、気分を上げて気合を入れて一日が始まるように。

 

雨や曇りだと星が見えないが、最近は晴れのことが多く、ほぼ毎日きれいな星空を見ながら最寄り駅まで歩くことができている。

それもあってか、ようやく何とかかんとか日々精一杯過ごせている。

 

残業して遅くに帰ってきて夕飯食べて風呂入って寝る。疲れて寝る。

10時には寝床にはいるようにしなければ翌日のパフォーマンスに響くから。

そしてまた朝4時に起きて始発で会社に行く。

星空を見ながら駅まで歩く。

そんな毎日だ。

思ったよりブログが続いている

こんにちは。

8月12日に始めたこのブログも約3か月。
平日は一から考えてアップする時間を取りづらいため、週末に記事を作り溜めして置き、平日は会社帰りにスマホから1日1記事ずつ更新だけしていくというサイクルではあるが、我ながらよく続いていると思う。

私はただ単に好きなこと思いつくことを記しているだけだが、少しずつ読者の方が増えていくのがわかってものすごくうれしい。
今日も誰かがこんな他愛もない文章を読んでくれているのだと思うと、少しはきちんとしなければ、と身が引き締まる。

1日くらい更新しない日を作っても良いと思うのだが、何故か少し意地になっている自分にも気付いている。
義務感と言えば言い過ぎかもしれないが、何となく「たとえ1行でもいいからアップしよう」と決めてしまっている。
何故だろう。
今まで50年間生きてきたが、たくさんの人に見てもらえるような文章を書いて楽しいと思ったことは今回が初めてだ。
もっと続けようと思っている自分に、自分自身が一番驚いている。

本を書こうとか思わないが、こういう形でユル~く日々思うことを自由に書き記していく、新しい趣味というか快感に目覚めてしまって、自分で新しい扉を開いたような感覚だ。

コロナ禍で未だに親しい友人と自由に飲みに行くのをためらっているストレスの捌け口にもなっているのは事実だ。
だがコロナが5類に切り替えられて自由に飲みに行けるようになっても、このブログは続けると思う。

なぜなら純粋に楽しいので。。。

スマホを酷使しすぎかなあ

こんにちは。

 

私のスマホはワイモバイルのAndroidOneS6だ。

 

あと10か月分の端末代金支払い残があるが、バッテリーの消費がかなり激しい。

それだけではない。

ウォーキングアプリを使っていると端末が熱を持ち、電源が落ちることがある。

 

再起動すると「Android One」というロゴが出ている間、ものすごく小さな文字で

 

”dm-verity corruption

Your device is corrupt.

It can't be trusted and may not work properly.

Press power button to continue.

 Or, device will power off in 5s.”

 

と表示されて、何もしなければそのまま電源が入らなくなって真っ黒になる。

この表示が出ている間、電源ボタンをズーッと連続で押し続ければ電源は切れることなく立ち上がる。

 

ネットで調べると海外ではそこそこ発生しているエラーのようだ。

とりあえず電源は入るので使えるのだが、なんか不安であることには変わりない。

 

バッテリー消費が激しいのは使用するアプリによるものであることは承知している。

ウォーキングアプリは歩数計や位置情報も使うのでやむを得ないと思っているが、通勤時にポイ活で動画視聴やネットを閲覧、メールチェック、ブログ更新、かなり酷使していると自覚している。

モバイルバッテリーにお世話になることも時々ある。

 

もっと安定した端末を使いたいが正直高い。

今度1年後くらいに機種変更するときはもっと安定した端末ならいいなあと感じる。

 

籾殻の野焼き

こんにちは。

 

10月25日のブログにアレルギー性鼻炎であることを記した。

最近は稲刈りも終わってマシになったかと言えば、実はそうではない。

 

稲刈りの後には籾殻が山盛りにされてしばらく放置される。

それが野焼きされると煙たい風が風向きによってはウチのほうに流れてきて換気のために窓を開けるとモロに浴びることになってしまう。

そうするとすぐに鼻が反応して鼻水が滝のように流れてしまうことになる。もしくは完全に鼻が詰まる。

この籾殻の野焼きは夜通し煙がくすぶった状態で続くため、夜は仮にしのげたとしても寝ている間に台所の換気扇を通ってどうしても家の中に煙たい空気が入ってしまう。

 

これは毎年この季節に起こることで、季節の風物詩と言ってしまえば聞こえは良いが、正直かなりつらい。

結局処方されている鼻炎薬を少し多めに服用するのだが、それでも治まらない場合は市販薬を服用するしかなくなる。強烈な眠気と喉の渇きと引き換えに鼻がマシになれば御の字だがいつも効くわけではないのがこれまたつらい。そうなれば諦めて鼻ティッシュ状態になる。

 

農家の方に苦情を言いに行くことは考えていない。

そこまでではないという気持ちと、「まあこの地に住んでいる以上仕方がないか」と受け入れているため、一時期だけ我慢しようと思っている。

 

ただ、一度だけ数年前、消防団の人に電話連絡をしたことがあった。これは夜通し炎が上がっていたので風も強くて危険と思ったためだ。

普通は夜通しくすぶっている場合は籾殻の山の内部をジワジワと火が移っていくようで煙がずっと立ち上るだけなのだが、その時は明るく燃えていた。

いくら近くに家がないと言ってもウチの窓からずっと炎が見えているのは怖かったので、その農家がある地域の消防団に連絡を取ってもらった。

 

どうなんだろう、こういうことは田舎あるあるなんだろうか。

 

田んぼがなくなって住宅になってしまえばこういうこともなくなるのだろうが、私はそのほうが悲しい。

 

いつまでもこのちょうどよい感じの田舎の環境が続いてもらいたい。

つい正論を言ってしまう…

こんにちは。

 

私には悪い癖がある。
ついつい無意識に正論を言ってしまい相手の機嫌を損ねてしまうことがある。

特に子供たちからはこの癖はウザいと思われている。

 

この前もそうだ。
先日娘が入院している旨をブログに記したが、LINEで会話をずっとしていたところ、ある時から娘は家族のグループLINEではなく母親と直接やり取りするようになった。


グループLINE上でやり取りしているのを見るだけで元気そうかどうかわかっていたのだが、母親と直接になったため私にはそれが見えない。帰宅してから話を聞くことで元気そうかどうかわかる状況になった。


なぜグループLINEを使わなくなったのか聞いたところ、「パパはすぐに長文で正論を送ってくるから何も言えなくなってしんどいから」と言われた。

これはさすがにショックを受けた。反省した。猛省した。
入院して辛い思いをしている娘に「しんどい」と言わせた。最低だ。

 

全く無意識に良かれと思って確かに長文を送っていた。オヤジあるあるなのか、これは。

 

女性にはないのか?オッサンの典型なのか?

 

ショックで色々考えた。
気を付けよう。それしかない。


とにかく意識して二度とそんなことを言われないように気を付けよう。

父によく言われたこと

こんにちは。

 

私は小学3年から中学2年まではサッカーをしていた。そこで基礎体力はかなりついたと思うが、元来の負けん気が増強されたような気もする。

 

サッカーは接触プレーが多いので当たり負けたりするとカッとなって理性を失い、スライディングして反則を取られることがしばしばあった。

悪い癖だと自分ではわかっていながらなかなか治せなかった。

 

中学になって最初はサッカー部だったが色々あって2年生から軟式テニス部に入った。

自分のサッカーの能力のなさに気が付いたこともあるが、接触プレーでカッとなることを避けようという気持ちもあった。

また、軟式テニスは父親が学生時代からずっとやっていて、私の学校のPTAでも父は毎週学校でテニスをプレーしていた。私もよくそれについて行って教えてもらっていたので初心者ではなかった。

 

テニスを一緒にしていて父に厳しくよく言われたこと、それが「マイナスのことは口にするな」だ。

サーブがなかなか入らなかったりすると「あかん!」「またや!」「入らへん!」「くそっ!」と感情に任せてよく口に出してしまっていた。

そのたびに「言うても入らへん!余計に悪くなるだけやから口に出すな!」と怒られたものだ。

今思い返してみるとネガティブ思考なのは昔からで、それを父が軌道修正してくれていたのだなあと改めてわかる。

 

元々の性格はなかなか治せなくても意識的にプラスに気持ちや言動を持っていくことはできる。

直接父からそういう説明を受けたわけではないが自然と自分で解釈して今は無理にでもプラスに持って行って精神的にバランスを保つことができている。

 

この年になって改めて父の教えというか偉大さというか、身にしみて感じた。

ご高齢の世代に恩返し

こんにちは。

 

今日、近所のご高齢のご夫婦からごみの処理をお願いされた。

お二人とも体が不自由で、何とか不用品をまとめて玄関の外に出すまではできたが量が多すぎてその後捨てることがどうしてもキツい、お礼はさせてもらうので捨ててもらいたいとのこと。

どうやら事情があるようで非常にお困りなようだと判断し、「ご近所なんだからお礼なんていいですよ、やりますね」と言って引き受けた。

 

私の家から台車とゴミ袋を持ってきてとりあえず燃えるごみを分別して袋詰めし、私の家の前に運んだ。その後燃えないゴミをまとめて運び、ごみが無くなった後の場所に水を撒いてきれいにした。

それから私の家の前で瓶や缶の中身を出して分別し洗ってごみの日に出せるようにした。

実際大変だったけど約4時間半かかったが何となく充実感を感じている自分に気が付いた。

 

お礼は要りませんよと言っているにもかかわらず、「それでは気が済まない」と言い張るので不本意だがお気持ちを汲んでいただくことにした。

 

ご近所の高齢者の手助けを無償でするのは当たり前のことだと私は思っている。対価を求めるのはおかしいと思う。

誰に何をしてもらったとかいう問題ではなく、私たちは子供のころには親の世代の人たちにメチャクチャお世話になってきたはずだから。

子供会の世話や引率とか、何十人も引率して電車に乗って遊びに連れて行ったりしてくれた。一部の世話好きな親がしてくれたことだという意見もあるかもしれないが、そんなことは関係ない。

 

私たち世代は親世代に恩返しするのは普通ではないかと思う。

その親世代は介護が必要な人が多い状態だ。親の介護自体を子供が必ずするべきというつもりは全くないが、困っている高齢者がいればできることはお手伝いする、ただそれだけだ。