親に褒められたい

こんにちは。

先日6月24日のブログで記した通り、父が亡くなった。
覚悟ができていたとはいえ、いざその時が来るとバタバタするもので、戸惑いながらも葬儀社の方に助けてもらいながら滞りなく初七日まで一応終えた。

手続きなどの関係でバタバタする日々が続いているが、忙しい中でフッと我に返って思うことがある。
「実の父が亡くなっているのに、いくら覚悟ができていたとはいえ悲しいはずなのに、自分は今冷静に粛々と手続き関係のことを進めることに集中している。この原動力は何なのだろうか。」と。
おそらく今の自分を周りの人が見ると「もっとゆっくりしてもいいよ、体を壊すよ。」と言いたくなると思う。自分でそれはわかっている。
だが、義務感みたいなもので突き動かされているようで、自分でもそれはコントロールできない。不思議だ。

そして考えたときに、その原動力とは単純に「親に『よくやってくれてありがとう』と褒められたい」という思いだけなのだろう、という結論に達した。

自分を正当化するための、自分勝手な解釈かもしれないことは承知の上で記すのだが、父親は私たち兄弟のことを信じて託してくれたのだと思う。父親が亡くなった後に母親が困ることの無いように力になってやってくれ、信じているぞ、と。
そして、「もう安心して逝くことができる」と気が抜けたので苦しむ期間も少なくあの世へ旅立ったのだと思う。

だからその期待に応えたい。それだけなのだろうと客観的に自分を見て感じた。
まあ、体に無理を感じたらいつでもストップさせることはできる、その自信はあるので、もう少しの間、フル回転で頑張ってみようと思う。