私は自信家だろうか。

こんにちは。

 

先日ポッドキャストで「自信の中身」という話題を話していた。

お坊さんによる法話だったのだが

「自信家だね」と人から言われて褒められたのかどうか真意をつかめず戸惑ったという話し初めだった。

 

自信が無ければ前を向いて生きていけないが、そこに感謝が伴えば豊かな自信になる。

それがない場合は単なる傲慢になってしまう。

 

自信の中身は感謝であり、そうでなければ傲慢である。

そういう内容だった。

 

私はどうだろうか。

私は自信はある。いい意味での「何とかなる、何とかすることができる」という自信だ。

傲慢は無いつもりだ。周りへの感謝は忘れないように常日頃から気を付けるようにしている。

ちょっとでも気を抜くと傲慢な自分の一面がすぐに顔を出しそうで怖い。

これも自分で自分のことを俯瞰して見る癖をつけるようにしてきたからできることで、野放しにしていると根が自分勝手なのですぐに傲慢が出てくるのが分かっているからだ。

 

というわけで自分では今のところコントロールできているつもりだ。

 

だが一つだけハッキリ言えることは何事も自分一人だけの力では成し得ない、ということである。

他人の援助、影響が無ければ私は何もできない。これまでもできていなかった。生きてすら、生まれてすらなかった。

そこまで自分の存在を認識したうえで、『自信がある』と今の私は言えると思っている。

 

何だ、私は十分に自信家ではないか。改めてわかった。

傲慢にならないよう、今後も精進しよう。