私がブログを書く理由

特別お題「わたしがブログを書く理由

 

こんにちは。

 

今回、はてなブログさんのサービスを利用させていただいているにもかかわらず誠に申し訳ないが、いつもは正直全く気にしていないトップページを見て「特別お題『わたしがブログを書く理由』募集」の旨を知ったので、これはちょうどいいなあと思い、このお題に関して記事を記して応募することにした。

 

11月10日のブログにも記したのだが、理由を最初に一言でまとめて言ってしまうと、

「何故か楽しいから」

ということに尽きる。

 

これで終わってしまうと良くないと思うので、自分なりにその中身を分析してみた。分析というほどではないかもしれないが、いつもよりちょっとだけ深く考えてみたので、その何故楽しいと思うのだろうかという点に関して思いつくままに理由等を記してみることにする。

 

1.備忘録的な役割

   匿名で色々記しているので記した出来事などははっきり何月何日と記してはいない。だがざっくりその近辺に起こったことではあるので、「大まかな日記」「大まかな備忘録」として意外と役に立っているし、そういう使い方をする時も良くある。

この役割は結構大きいと思う。

 

2.思っていることや考えていることを残しておきたいという気持ち

   予定表アプリを普段活用しているし、日記も毎日つけているが、過去のものはほとんど備忘録というか実際には行動履歴を記したものという扱いになってしまう。当然と言えば当然だがそこにその時の思いや感情を記すほどのスペースは無いので、その部分の役割をブログが見事に担ってくれており、今の私の生活にマッチしていると感じている。

 

3.雑談の場や飲み会も減り他愛もないおしゃべりの機会が少なくなったので誰かに聞いてもらいたいという欲求

   コロナ禍を経て最近特に痛感することは自分以外の人と対面でしゃべることに抵抗を少なからず感じるようになってしまった、ということ。そういう人は多いと思う。だが基本的に私はおしゃべりなオジサンなので話がしたくてうずうずしている。でも不要不急のおしゃべりを控える癖がついてしまったので、私のたわごとを誰かにしゃべりたいという欲求が溜まっていたところにブログを始めた。これが見事にハマって今も続いている。ありがたいことに何人か私のこんなブログを読んでくださる方が現れて下さったのでとても感謝している。

 

4.自分の迷いや弱音も吐きたい

   私は正直言って自分の言動に絶対の自信がない。間違えること、勘違いすること、偏見に囚われること、周りに流されること、同調圧力に負けること、大した人間ではないと思っているのでこれらのことは客観的に自分を見ていてごく普通にあると思っている。

だが、間違っていることは間違っていると言いたいし、上手くいかなかったときに悔しい悲しいといった心境も吐露したいし、弱音も吐きたい。ストレスを溜め込みたくないので我慢したくない。

そういった想いに対してこのブログを書き記すという行為は持って来いだと常日頃から感じる。会社での時間がどうしてもほとんどの私なのであまり弱い部分は周りに見せづらい。ある意味そういうストレスの捌け口として非常に役に立っていると思う。

 

5.日々の小さな感動も忘れたくない

   ブログを始めるまでは日々感じる季節の変化や小さな感動はその瞬間だけ感じてそのまま記憶の奥にしまい込まれて行っていたと思う。それがこのブログを記すようになって文字として残すようになり心が豊かになっている感覚を覚え、小さな幸せ感を蓄積していけるようになったと感じている。

 

6.オジサンなので昔話もグダグダ話したい

   私は51歳のそこらにいる普通のおじさんなので、世間のおじさんあるあるの通り「昔話ばかりする」「過去の栄光にすがる」「昔はよかったということばかり言う」一人である。自分でもそれはわかる。でもこの歳になったから分かったのだが、「つい口に出てしまう」のだ。それも無意識に。意識的に口に出さないように頑張るのだが、言いたくて言いたくて仕方がないというストレスが溜まっていく。それを飲み会などで発散していたのだろうが、それも行きづらくなってきた昨今、匿名のブログはある意味人を傷つけるなどのマズいことさえしなければしょうもない戯言はいくら記しても許される。だから楽しい。本当に聞く気、読む気がある人のみブログを読み進めてくれればいいので私も気を遣う必要もない。こんな良いものは他にないと思う。

 

ここまで、何故私がブログを記すことに楽しみを感じるのか、自分で思う理由を取りとめもなく記したが、「何かオジサンが自己満足でしょうもないこと書いてるなあ」と思ってくれればそれで十分だ。

私はこれからも好き勝手に自己満足、楽しみのために記していくから。

気が向いた人が、気が向いた時に、気が向いた部分だけ、読みたければ、読んでくれれば良い。