『分別』してしまっている

こんにちは。

 

連日ポッドキャストの話。

昨日のブログで記した通り8月18日配信の「仏教伝道協会presents 笑い飯 哲夫のサタデーナイト仏教」は私にとっては神回だった。

印象に残ったお話はもう一つあるので引き続き記す。

 

www.fmosaka.net/_ct/17716383

 

ゲストの現役看護師で高野山真言宗僧侶の玉置妙憂さんが話された、『分別(ふんべつ)』の話。

高齢者や障害を持つ方のサポートをする自分は、「その方とは違う」と「分別して接してしまっている」のではないかと感じている方からのお悩みにお答えされていた。

お答えとしては「その感覚に気が付いていること自体がすでに『分別』している。」とのこと。

ただ、だめだなあと卑下するのではなく、そうしていけばいいのだろうかと日々考えてより良い方向へ成長していくことが良いのだ、という主旨であった。

 

でもこの質問者と同じ感覚は私自身かなり前から自覚していた。

 

「差別は駄目だ」と言っている自分が「差別しているからその言葉が出る」のではないか。

 

禅問答のようだが、

 

言う=そういう意識を持っている

 

ということ。

 

かなり前から自覚はしていた。

だが、無くす努力、意識はしているがまだ無くせていない。

これが無くなるということはある意味悟りに近づくくらい難しいことなのかもしれない。

 

とはいえ、自分はまだまだ足りないと日々感じるので精進していくしかない。。。